肩甲骨が剥がれない

Twitterの補完版として始めたけれど、自分の備忘録状態。なるべく他人に読んでもらうつもりで書きます。

シール帳を作ってシール交換をしよう! | オモコロブロス!を読んで思い出した記憶


シール帳を作ってシール交換をしよう! | オモコロブロス!

 

 

現在30代〜40代前半のかつて女子小学生だった世代にはたまらない企画。記事中で説明されているが、シール帳、シール交換とは、文字通りシール台紙からシールを剥がし、シール帳と呼ばれる手帳型のノートに張って、同じくシール帳を持っている友人達と似たようなシールを交換する文化。主に業間や昼休みなど長い休み時間で行われた。プロフィール帳交換文化が新学期が始まった直後4月中に隆盛を極めGW前に終焉するのに対し、通年で行われた。似たような文化としてビーズ交換がある。(赤井の記憶より抜粋)

ここで言うシールとは、文房具屋や気の利いた雑貨屋や雑誌の付録で入手するものだ。どこかに貼ったり己の持ち物として誇示させるものではなく、単純に可愛らしくてキラキラしていて、手触りや意外性(下品なもの、幼児が好むキャラクター性のあるものはなんか違うという認識)があるものが「イケてる」とされていた。

JUNERAYさんが当時っぽいデザインのシール帳を探して買ってきた。といっている画像に膝から崩れ落ちそうになった。(実際は寝転がりながら閲覧していたが)令和らしく薄紫を貴重としたゆめ可愛いものだが、大人からすると手のひらのサイズ感、ふんわりしたレタリングの英字など、あのころを思い出すには十分なノスタルジー

 

そのノスタルジーとともに、とある記憶が蘇ってきた。前後の記憶があいまいで、特に落ちもないワンシーンだがせっかくなのでここに書き残しておく。

 

 

 

シール帳文化は20年近く前に西日本のとある地方自治体で小学生女児だった私にもやってきた。学校で、土手で、誰かの家のリビングで、子ども部屋で、女児が二人以上あつまると誰とも無しにシール帳を取り出すのだ。現在の感覚でいうと、数ヶ月ぶり会った友人に「そういえば、最近ここに行ってきたんだー」とカメラロールを見せながら土産話をする感覚に近いだろうか。

習い事のない平日の放課後は、帰宅してランドセルをリビングにほおりだし、制服の吊りスカートをズボンかキュロットスカートに履き替え、上は白いポロシャツのまま、校庭の遊具か土手を駆け回っていた私にもいつの間にかその文化がやってきた。*1ラメが入っていて、キラキラして、中にはぷっくりシールのように分厚く立体感のあるものもあり、小さくて可愛らしくて、それでいて貼れる!という実用的な面もあり、私はすっかり夢中になってしまった。

 

 

 

ただ、一点を除いて。

私は交換できるようなシール、そしてシール帳を持っていなかったのだ。我が家は家の方針でお小遣いというものはなく、学用品は都度親に申請して買ってもらうのだった。学校は制服があったが、私服は全て親戚からのお下がりなので、休日にイオンへ服を買いに出かける生活習慣もなく、(両親も結婚前に買った服を大事に着続けていた。)ゲームも、漫画も、本も、CDやビデオテープも買って遊ぶという習慣が一切なかったのだ。(テレビは父親の寝室のみだった。)

友人宅にお邪魔する用のお菓子の買い置きは常にあったし、ほしいキャラクターの文房具などは買ってもらってはいたが、子供ながらに「シール帳のみをねだる」のはおそらく経費申請許可が降りないだろうと感じていたのだろう。習い事系や子供会の行事などを金銭面を理由に断るような家庭ではなかったので、単に質素倹約を徹底していただけである。

では、なぜシール交換を知っていたのかと言えば、おそらく交換する人通しの肩越しにシールを閲覧していたからだ。もちろんシール台紙すら持っていないので、たまに気が向いた人が見せてくれるものを閲覧したり、気前のいい人から交換のおこぼれをもらっていたのだろう。

 

 

長かったが、ここからがノスタルジーの一コマだ。

ある休日、両親が買い物に行ったのか弟はスポ小の練習か何かで、私一人で留守番をしていた。手元には数日前に親からもらった台紙に張られたシール*2そしてこれも父親が職場からもらってきたビジネス手帳があった。表紙が黒い合皮のカバーでおおわれており、なかは月ごとのバインダーになっている。今思い出しても無骨で、自分のセンスには一滴も引っかからない。当時の私ももらったはいいものの、お絵かきするには余白がなく、そしてスケジュールを管理するという意味すら分かっていなかった私は持て余していた。*3

その2つがどうやって結びついたのか覚えていないが、おそらく今となっては天啓を得たのだろう。私はスケジュール帳をシール帳に改造ことにした。買い物のついでや雑誌の付録でシールを手に入れる機会はないわたしには、このたった一枚の台紙のシールは降って沸いたチャンスだった。このシールを元手にシール交換をして正々堂々とシール帳を正面から見ることができるのだ。ぷっくりシールやホログラム加工されたシールとは流石に交換できないだろうから、一枚の紙ものだろう。よし、そうとなれば足りないのはシール帳だけだ!となり、手元にあるよく分からんけれど形状はシール帳に似てる手帳を改造することになるのは自然な流れというものだ。

正確にはバインダーの後ろ部分にある罫線のみ引かれたメモ部分を、おもてと裏にセロハンテープを貼ってつるつるの素材に改造した。私も長年(といっても数週間)観察を続けていたのだ。シールはつるつるした素材の上のみ、貼って剥がせる。この作戦の肝、そして唯一にして最大の涙ぐましい点だ。結局数枚程度つるつるに加工して、さっそく原田治のシールを貼った。思い通りに事が進み大変満足した、ところでこの記憶は途絶えている。

 

その後、両親が帰宅して私は早速ご自慢のシール帳を見せびらかしたような気がするし(当時は今以上に承認欲求が限界突破していたので、なんでもかんでも親に報告する子供だった)翌日学校で堂々とスケジュール帳を取り出したかもしれない。いずれにせよ「こんなみっともないこと止めなさい」と羞恥心を掘り起こされたり「なにこれ(笑)」蔑みを受けた記憶もないので、憐れみと慈悲の心を持った人格に恵まれた人が多かったのかもしれない。もしくは己の頭脳が都合のいいことは忘れていたのか。

書きながら「だるまちゃんとてんぐちゃん」という絵本を思い出した。

だるまちゃんとてんぐちゃん|福音館書店

だるまちゃんは親友のテングちゃんの持ち物を何でも欲しがる。天狗のうちわに帽子に下駄に…。父親ののだるまどんが家じゅうから探してくるけれど、なんだか違う。でも、だるまちゃんは似たようなもので代用し、それがお気に入りとなっていく。最終的にだるまちゃんがねだったものとは……?というユーモアな名作。

だるまちゃんから純度とユーモアを落とした劣化版だるまちゃんみたいなことをしている。絵本の対象年齢は3歳から、おそらく子供の想像性とか選択、可能性の無限大を描いているんだけれど、私がやっていることは、ガムを噛みたいけれど嗜好品を買うお金が無いから小麦粉を水で練ったものを口で噛んで代用する。みたいな雰囲気だ。

*4

 

シールブームがいつ終焉を迎えたのか定かではない。去年~今年初めに行った大規模な断捨離では自作シール帳は出てこなかったのでとっくの昔に処分していたのかもしれない。ただ、あの日、フローリングにしゃがみ込みながらせっせとセロテープをちぎってメモ用紙の上から順番に張り付けて、つるつるでごわごわしたお手製のシール帳を作っていた後ろ姿を想像し、涙ぐましい努力とけなげさを、いじらしく感じてしまうのだ。

 

 

 

 

 

地方都市のマンモス小学校で過ごした日々は、家と学校と習い事と町内会と県外の親戚だけの狭い狭い世界だった。ゲームもない、漫画もない。図書館で本や漫画や雑誌を借りること*5が文化的で外の世界へつながる一歩だった。しかし周囲の人の優しさと厳しさと公立の学校の牧歌的な空気感が上手い具合に作用して、居心地の良い義務教育を受けることができたと思う。時々鮮明に思い出すノスタルジーがあるので、たまに書き連ねていけたらよいですね。

 

 

 

 

 

 

おまけ

あのころ渇望したシールだけれど、現在はファンレターを送ったり文通する人がいる関係で、手紙の装飾としてある程度集めている。今は当時より洗練されたシールが多く、絵を描く才能とセンスのない私でも、余白にそれっぽく貼るだけで「私の溢れる想い」をアピールできるから、とてもありがたい。

手紙BOXにあるシールと便箋の一部。青系が多いのは川原和久さん用です。



 

*1:夏場の制服はワンピースだったので、流石に上下着替えていたが

*2:絵柄を思い出して検索すると原田治のものだった

*3:今思い出したが、家と学校以外の外の世界を感じられるものはなんでも欲しがっていた子供だった。街中で配っているティッシュや家電量販店でもらえる風船は真っ先に手に入れていたし、ポストに投函されるチラシも食い入るように眺めていた。両親も、その場で断れないものを貰って帰ってきても「娘が使うなら」と納得していたのかもしれない。

*4:関係ないけれど、てんぐちゃんがめちゃ良い奴じゃないですか???親友が自分の格好を身の回りの物を代用して真似てくる。でもそのプロセスではなく結果を単に褒めている。私もこうありたいものだ。

*5:唯一インターネットに繋がっていたことが後の人格形成のアドバンテージとなった