肩甲骨が剥がれない

Twitterの補完版として始めたけれど、自分の備忘録状態。なるべく他人に読んでもらうつもりで書きます。

2024/1/1 正月休み日記

贔屓にしている執事の館「被災された主」のためのお見舞金を寄付するページの中に、今回の地震に対して感じた初期感情を端的に表した文章があった

忘れていた頃に、やって来るものですから、私たちは驚いてしまいます。そして、めでたい日にも何も起きない、という思い込みがあるせいで、余計に傷つき落ち込みます。

震災のお見舞い(あたたかな紅茶と)2024年能登半島地震 執事の館より

 

    

正月は厳島神社で初詣。フェリー乗り場から出た直後でこの行列で、世界遺産の神社で初詣という行為の重みを感じる。列は停滞しておらず、露店や土産物屋の活気、暖かでまさに小春日和と言う天気だったので気分よく拝殿までたどり着いた。

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その後今回の旅のメインと言ってもいい御朱印を貰うために社殿内で行列。ここが長かった!!!1時間40分ほどひたすらに待つ。最後尾に並ぶ前に渡し口が見えたが、3人の神職の方が手書きをしていたので、それは、まあ、時間がかかるよなあ……。と納得。正直、コロナ後から書き置きした紙を授与、という形をとる神社が多く、世界遺産で元日の厳島神社。参拝客が多いのは分かり切っており、書置きを頂くスタイルだと考えていたのでこれは嬉しいサプライズ。(書置きverに不満は全くない。御朱印は参拝した証なので、私は正直紙でも印をつくだけでもいいと考えている。)

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太鼓橋のふもとから並んでいた。この写真を撮った時点で全体の2/5。することもないので周囲の景色を見たり、漏れ聞こえる会話に耳をそば立てる。行列の中には動物連れの人もいた。ベビーカーを押している人と抱っこ紐を抱えている人の二人連れがいて「今日は温かいけれど極寒だったらどうするんだろう…」と眺めていると、抱っこ紐から動物の顔が見えてギョッとした。あ、ベビーカーではなく生き物を入れるカートだったんですね。そしてこれだけ人種も年齢も多様な人がひしめいている中でカートに入れないんですね……。

羽田空港でJAL機が爆発した事故があった。乗客は全員脱出したが貨物に預けていた動物が犠牲になったことでインターネットの一部が香ばしいことになっている。幸いなことに私は生き物に関するアレルギーや、爬虫類等を毛嫌いする性格ではないが、自分の意志で身動きが取れない状況で、己の周囲や五感で感知できる範囲で地雷が潜んでいるリスク。そして地雷の元凶は、己の無邪気な言動が絶対に許される自信にあふれているんでしょうね……それは薄氷ですよ……思わず永田みたいなことを考えてしまった。永田の成分、薄氷しかないけれど。

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無事御朱印を貰って広島市内に帰ってきたのが16時。広島市内に住む友人とお茶を。わたしは遅めのお昼ご飯(ハンバーグステーキ)を食べながら。友人とは2019年の年末に会ったぶりなので4年ぶりの再会だ。ラインや手紙のやり取りはしていたので久しぶりと言う感覚はなかったが、改札前で待ち合わせをして、駆け寄りながら声を掛け合った時は、顔を見れた安心感で懐かしさが急上昇。顔が分からないのでは……と不安になっていたことで盛り上がった。わかる。不安になるよな。せっかくなのでリアルでしかできないこと(ツーショットを撮るなど)をしたかったが、結局いつもラインでやり取りしているようなことを話して終わった。

 

会話しながら北陸で地震があったみたい。と触れた程度で、帰りの新幹線の車内で*1その甚大な被害を目の当たりにして、思いっきり凹んだ。天災はいつでも起こるんだな……。

 

2日は寝正月。3日は恋人と会って、4日も寝正月をしていた。

寝正月中唯一の外出はセルフうどんでの昼食。この器が分かる人は地元が一緒です。正月休み明けの店内は相も変わらず盛況で、休みボケ(あと寝すぎ)の脳内へ普段の日常が始まったことを知らせるには十分な衝撃だった。ゲソ天の大きさに笑ってしまった。いや、普段も値段の割に立派なサイズなことで有名だけれど、ここまでの大きさは初めてなので。3人で1500円。今時ひとり1コインでお腹いっぱい食べられる飲食店ってある!?!?!?!

 

地震の特番の影響で相棒元日SPのラスト5分が見れなかったのでTverで見たり、インターネットの2023年のまとめ記事を読んだりした正月だった。2022年の遠征記などはまだ書きかけた。3連休で完成させるぞ。

*1:往路は家族と青春18切符で向かい、広島駅で別れて帰ってきた。相棒元日SPに間に合わせるために新幹線を使ったが、家族は復路も律儀に18切符で帰ってきたようです