雨の日は布団に寝転んで読書を

Twitterの補完版として始めたけれど、自分の備忘録状態。なるべく他人に読んでもらうつもりで書きます。

「犬が星見た ロシア旅行」武田百合子 中央文庫 より気に入った文章を引用する

デイリーポータル

50年以上前の旅行記としても面白い。なによりソ連旅行に乗り気ではない人の視点として、市井の人や同行者の言動、そして物価や食べた物を細やかに書留めている。辛辣でありながら主体的な旅行でないからこその視点の妙がとんでもなくおもしろい。読ませる文章というのは昨日でも10年前でも、56年前でも変わらないんだなあ。と感服しました。読了は昨年の11月。長らく気に入ったページの写真がメモ帳に残っていたので書き終えました。

 

柔道の試合のように、主人と私は踊る。踊りながら主人は何度も訊く。

「やい、ポチ。旅行は楽しいか。面白いか」

「普通くらい」

(中略)

「百合子、面白いなあ。面白いと思うか。楽しいか。」

「普通だよ」

表題になった個所。映像化するなら絶対にここが予告編に使われるだろうな。という。今作を代表する会話。

 

樫の林。白樺の林。黄色い花をつけている林の下草。木下陰には蛾も虫もいない。ピョートル大帝が自分で植えた菩提樹は百五十年経っている。

クローバ、三色すみれ、野花菖蒲、赤いけしの花が咲く、りんごの木に囲まれた小さな家。大宮殿を立てることが好きなピョートル大帝は、ときどき、気が変になると、急にサンルーム風の小さな家を造り、そこで暮らしてみたりしたのだ。

(中略)

庭を歩いていて、いい匂いがしているのは、リラの木がたくさんあるからだった。陽が射してくると北の海辺の庭園も暑くなってきた。

(中略)

限りなく続く田園、大きな農家がときどき見えた。別荘として使っている家もあるという。眠くなる。

50分ほどでレニングラードの町に入った。町には寒天色の綿のようなものが舞っている。どんよりと垂れこめている。どんよりと漂っている。道の脇、建物の陰には、ふんわりと、いくつもの毬となってたまっている。ポプラの花が終わり、綿毛を付けた種子となって散っている季節であるそうな。

「わし、今朝散歩しとって、この当たありの紡績工場でもあるんかいなと思とったんじゃ」と、錢高老人は言った。

ホテルの玄関にも広いロビーにも、ポプラの綿毛は舞ってきていた。

色とりどりに花と草。陽が差して、植物が生命力あふれるようにしかし手入れをされて整えられている海辺の庭園と噴水たち。こっちまで眩しくなってくる。いい匂いがするリラの木って何だと思ったら英語でライラックらしい(リラはフランス語)。ライラックといえばギルデロイ・ロックハートの好きな色という認識しかなかったけれど、モクセイ科らしく、いい香りがするでしょうね~。とうっとりした。

ポプラの綿毛が舞う情景が目に浮かんだ。

 

19世紀初めに建った劇場。華やかで古めかしい。西洋映画で、貴婦人と芸術家または軍人との恋物語などとき、こういうところが出てくる。

二階の売店で、主人は一九七〇年(来年)の日めくりカレンダー(四十カペイク)と絵葉書(七十カペイク)を買った。
便所で手を洗っていると、若い女と中年の女が入って来る。中年の女はやにわにスカートを胸までまくり上げ、くい込んでいるガードルを外し、どういうわけか下穿きと靴下とはき替える。私の方を向いて、悠然とやっている。だから私も、蛙みたいな下腹をすっかり見た。

私たちの周囲は、外国人観光客席らしかった。ロシア語は聞こえてこない。英語・ドイツ語らしい話声が聞こえてくる。若い娘たちは軽装だが、中年、老年の女たちは、白、水色、うす緑、赤、とりどりのワンピース。うすく透ける布やレースで出来ているそのワンピースの背中はうんと開いていて、首に巻いた乙姫様のひれのような共布を背に垂らしている。肘までの手袋をはめた老女。実に華やかだ。

華やかで古めかしい劇場での観劇。客席のドレスアップした中年、老年の女と、便所で見かけた中年の女の対比が素晴らしい。人間観察*1と言うと嫌味な奴だが、他人会話や挙動をじっと見聞きして淡々と述べている文体は非常に好感を持てる。

 

老婆は、私の耳に口を寄せ、口臭とともに囁いて、にっこりする。こわばった指をのばして、頬をさも愛しげに撫でる。私もかがみこんで額の女の人をよく見た。美しい人だ。

「クラサービッツァ(美しい人)‼」

老婆の耳に囁き返す。すると老婆は〈そうなのだ。この人は美しいのだ。わかったかね〉とそんな風に満足そうに肯いた。ほんとに、花の精かなんぞのようだ。クラサービッツァだけでは、ほめ方がまだ足りない。〈本当に美しい人〉と思っているよ、と老婆に伝えたい。覚えたありったけのロシア語の中から、こう付け加えて、囁く。
プラウダ(真実)ね。プラウダですね。プラウダのクラサービッツァ」

老婆は「スパシーバ。スパシーバ」とくり返し、痰をごろごろさせて喜んだ。〈お前も撫でてもいい。特別に撫でさせてあげる。撫でてみるか〉と、額を私の手に持たせようとした。廊下のプーシキンの胸像の前には、見物人が置いたらしい白とクリーム色のバラが萎れていた。

芳名帳に名前を書いた。また来ることがあるだろうか、そのときにはあの部屋番の老婆は死んでいるだろうな—―名前を書く間、そんなことを思った。

2番目に好きなシーン。老婆を美しいとほめちぎる作者から、老いを否定しない姿勢を解釈するかと思いきや、萎れたばら、老婆の死の想像。老いや死を肯定もせず否定もせず、単に受け入れているだけで、解釈を見出そうとしている自分が恥ずかしくなった。

 

書斎の机には、眼鏡、ペンなどが置いてある。つい、さっきまでチェホフが仕事をしていたかのように、庭先を探せば、仕事に倦んだチェホフが海でも眺めているのではないかと思う。あるじがいない間に書斎に入ったときの、無神経なわるいことをしているような気持。

(中略)

帽子を取るように、とガイドにいわれる。主人は帽子を取って隅の古風な帽子掛けにかけた。

(中略)

バスが走り始めてから、帽子を忘れてきたことに、主人は気づいた。

「よかったじゃないか、武田。チェホフの家の帽子掛けに防止を忘れて」竹内さんは言ったが、帽子をがぶらないと頭の先が不安である主人は、浮かない顔をしていた。

まさか帽子を忘れてしまう伏線なんじゃないかと思っているとページをめくったらみごとに伏線が回収された。

 

こんなことがあった。あれも竹内さんには不愉快だったのだろう。彼女が同席した食事のとき、彼女は達者にしゃべり続けるうちに「竹内さんのようなえらい方は――」と、二度ほど言った。竹内さんは黙って笑っていた。ひとしきり、また彼女はしゃべって、終わりの方で「――竹内さんはたいしたもんです」と言った。竹内さんは不機嫌な顔になった。

でも、彼女は仕事熱心である。今朝、スーツの襟に、こけしのブローチを飾ってきた。日本のこけしが二つ、金色の安全ピンにぶら下がっている子供向きの安物のブローチは、彼女の洗練された出で立ちには、まるで似合わなかった。日本の観光客から貰ったブローチを、彼女は思いついて、私たちのためにしてきたのだろう。

しかし、そんなことなど、私は言わなかった。私は竹内さんが話すのを聞きながら、黙って歩いていた。私でない女の悪口を聞いているのが、いい気持ちだった。

一番好きなシーン。武田百合子さんの性格が大好きになった。私でない女の悪口を聞いているのがいい気持ちと、バッサリ言い切ったところがいい性格をしている。これは女の本能ですよ。つまるところ、女性が2人以上あつまると、私でない、あなたでない女の悪口で気持ち良くなっているだもんな。竹内さんが不機嫌になった経緯は現代文の試験問題にされそう。人間の機敏~~~~~。としびれる。おもしろいなあ。普段凪のような人が時折見せる本心がうっすら透けて見えるような機微がたまらない。

 

いい天気。泣きたいばかりのいい天気。

存分に泣け、と天の方から声がすれば、私は、眼の下に唾を付つけ、ひっと嘘泣きするだろう。

積極的に真似をしていきたいフレーズ①

好きなものを好きなように植えて、どんどん植えて水をやり、どんどん可愛がっていたらこうなったという庭だ。

積極的に真似をしていきたいフレーズ②

ムッヘダの草原を、陽を浴び、燃えるような赤い髪を風に飜えらせて、長い脚で豊かな軀を運ぶとき、彼女は女そのもの、牝ライオンみたいだった。

積極的に真似をしていきたいフレーズ③そしてこんなにも日本語を美しいと感じたのは久し振りだった。いまのところ(2020年代を生きている中で出会った表現の中で)ここまで美しく女性を賛美している言葉を知らない。

*1:関係ないけれどツイッターで「人間観察をしていると~」と書いている人を見ると偉そうな口をきいているなあ。たとえそうだとしてもオブラートに包みなさいよ。人様の生きざまを勝手にコンテンツにして消費するな。