肩甲骨が剥がれない

Twitterの補完版として始めたけれど、自分の備忘録状態。なるべく他人に読んでもらうつもりで書きます。

2021/06/06 四十九日/写真

4月に亡くなった祖母の四十九日。

 

お葬式ではお坊さんを呼ばず斎場横の遺体を安置しておく小部屋(多分夜伽に使うスペースなのかお風呂やキッチントイレなど生活できるスペースはついていた)で家族のみでお別れをして慌ただしく焼いただけだった。寺でお経をあげたいと母が強く願ったので、この日は家族全員で出席。

 

 

法要後の我が家は父の実家に寄る(よく日記にも登場する祖父が近くに住んでいる)ので、お供えをばらして配ったら即解散!!かと思いきや………。お寺の近くに住む親戚の家に一旦集合している。まあ、久しぶりだしな。コロナ禍でなかなか出歩くことが出来ないので久しぶりに親戚同士顔を合わせたし歓談するんだろう。どれ、私も少々顔を出しておきますかね。と差し出された椅子にゆっとりと座った。

 

 

……………どうやら穏やかな話ではないようだ。

全員車座になったタイミングで声が大きい(物理的にも発言力的にも)親戚が話し出したが、まあ、だり~~~~~~!!!!!な内容だった。とある案件を解決するか、早いとこ今後の方針を決めよ。という主張。ただ親戚達の話が長い。同じ話題をループしているけれど何周目で終了条件達成出来るんだろうか。私は孫世代なので決定権はないがとりあえずこの場に「いた」ほうがいいよな…とぼんやり聞いていた。玄関につながる唯一の出口は別の親戚が門番のように鎮座して「話の決着が着くまで何人たりともここを通さぬ」みたいな風格を漂わせていたし。でも親戚3が2周目に入ったぐらいでこりゃ我慢ならん!!!と意を決して立ち上がった。小学生のいとこは私の横で大人しくしていたが、私の目はいとこが足をぶらぶらさせ、体を揺らしているのを見逃さなかった。

「ちょっとこの子と外に出てくる!!」と手を引いて宣言。こうして見事に「大人同士の話に退屈する子供の面倒を見る」という大義名分を背中に掲げて現場を後にした。(門番は無理やり突破した)

 

庭で小学校トークをしながら「君もあと10年経てば今日話し合っていた意味が分かるよ」と全力で大人風を吹かしまくっていたけれど、2回り近い歳上の私は卑怯な大人なのでこんな「逃げ」の姿勢は見習わないでね……。

 

 

ヒートアップして音漏れしてくる親戚達の声をBGMに、いとこと庭に迷いこんできた沢蟹を観察して30分。とりあえず決着が着いたようでぞろぞろと大人達が外へ出てきた。話を聞くと「決着は着いていないがそれぞれの主張は話した」ようで、まあ、あとは当事者同士何とかしてくれ…(でも当事者達の性格を考えるとあと4~5年はかかりそう)

 

 

 

 

 

 

1ヶ月ぶりに祖父に会った。普段は盆と正月、たまにGWしか会わないのでこんなに短い間隔で会うと新鮮ですね。家族全員で会いに行くのはそれこそ数年振りなので記念に写真を撮りたい!!と主張すると父がカメラマンとなってくれた。全員で…と思ったが、だれか犠牲にならなければいけない。それぞれ良い顔だったのでスマホの待ち受けにしようかと一瞬考えたが、止めた。自分の血縁大好きにもほどがあるし、絶対に飽きる。

あれこれお土産を持たせようとする祖父を遮り、そろそろ帰ろうかねと言うところ、祖父が「渡すものがある!」と急に何かを思い出して紙にくるんだハガキのようなものをくれた。

開けてみると幼少期の父が(父の)兄弟達と写っている写真が2枚。なるほど、写真を撮ることで思い出したんだね。自分の昔話をしたがらない父なのであまり嬉しそうな顔を見せなかったが、代わりに私が貴重な資料としてありがたく受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

駄洒落です。はい。それ以上でも以下でもありません。