雨の日は布団に寝転んで読書を

Twitterの補完版として始めたけれど、自分の備忘録状態。なるべく他人に読んでもらうつもりで書きます。

2024/9/7 数年ぶり数度目にビリーバットを読み返し、漫画を描いて描いて描きまくる人たちへ思いを馳せるなど

昼に作ったスパゲッティを失敗&調味料を無駄にしてしまい落ち込んだ。

 


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左上のナスはぬか漬け。

一口食べたが口がヒリヒリするほど辛く、食べ進めることができなかったので水で濯いでこしょうを落として食べた。それでも後半は固まったこしょうの塊をうかつに口に含んで悶絶し、カルピスウォーターをのんで甘さで口の中を中和させながら完食。

 

 

うっかり鳴ったインターフォンに出てしまい(書留など届く予定でしたので…)変な勧誘みたいな感じで「しょーもねー人にこの家の住人が女性で土曜は在宅だと知られてしまった〜!!」と自分の迂闊さに頭をかかえるなど。

 

 

 

 

一度きり〜を読んでから、ずっと自分の中で「人間関係……とは……」「漫画を描き続ける……とは……」と考え出して答えが出なかったので漫画を描くことがテーマのBILLY BATを再読。

数年ぶりに一気読みした。

漫画というものに出会って"聞こえて”しまった人は一生描いて描いて描きまくる。それだけだ。というシンプルなメッセージ。それこそ、生死の間にいる時、手足を失っても、紙とペンがなくても。どんなときでも、頭の中に浮かんだイメージを描き続けないと死んでしまう人。それが漫画家。

手塚先生の自伝か何かで読んだが終戦後に若き手塚先生が「これからは好きなだけ漫画を描けるんだ!」と明かりが灯る夜の街で飛び上がっているコマを思い出した。

 

漫画を描き続けること。それが戦争を生き延びた手塚先生の生きる理由であり、生まれてきた理由だ。

 

浦沢先生は手塚先生のことを本当に心底尊敬している―新宝島や、来栖のあったかもしれない世界線など―と分かるシーンはあれど、そうか。この漫画このテーマは明日の、いや、今この瞬間命を失うかもしれない、尽き果ててるかもしれない、そんな状況でも描いて描いて描いて描いて描いて描いて描きまくる人達の、そしてその漫画家達を取り巻く環境を描いているだ。2人のケビンが世界の真理に近づいたり遠ざかったりするBILLY BATだが、彼らにとってはほんのささいなことで(彼らはただ頭の中のイメージを紙に描き写したいだけ)、コウモリがどうとか、それこそ象が自分の周りを飛び回る羽虫を尻尾で追い払ったり無視するような、その程度のことなんだろうな……と思わせるほど描くことに人生を捧げているように見えた。

連載当時に行われた浦沢先生の展覧会テーマ「描いて描いて描きまくる」はこのころの先生の本質を付いていて、大阪まで観に行ってよかったな〜……と当時の私を労いたい。

 

 

カメラロールを探したら当時の写真が出てきた。

そうそう。海の側を走るモノレールに乗ったんだよね。


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終わりの風景。最高。関東のフォロワーさん達がこのパネルの前で写真を撮っていて、なんて楽しそうなことをしているんだ!!と羨ましかった記憶。

3匹のカエルのヨハン(ニナ)のシーンやPLUTO20世紀少年の撮影可能パネルがあった。

 

 

グッズ売り場の片隅に小さな屋台が出店してあった。◯◯円以上の飲食をすればランダムコースターが貰える!というもの。屋台のお客が私一人だったので好きなの選んで!と言われてキートンとBILLYを選んだ記憶がある。あとは…誰がいたんだろう。ケンヂは絶対にいたけれど選ばなかったよな。猪熊滋悟郎もいたような気がする。テンマかヨハンがいればお金に糸目はつけずに出るまで買おう、としていたけれど選んだ記憶はなかったので、いなかったんでしょうね……。かなしいね。こういう時に絶対いないんだもん。

このとき食べた肉まんが妙に美味しく感じられたことを覚えている。。なぜなら当初の目論見では2時間くらいで見終わるでしょうと勘定していたけれど実際に会場を出たのは4時間半後だったから。完全に夕方の時間に食べた昼食代わりの肉まん。

 

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萩尾望都も漫画しかなかった。漫画によって救われて、漫画によって人間関係に絶望し、一度は描くことを諦めようとしたけれど、それでも筆を置くことはなく描き続けている。

 

自分を好きでいるためには、自分に正直でないといけない。毎晩浮かぶ物語を、これからも描き続けたい。それが一番やりたいこと。

そのために嫌われたり失うものがあっても、これがなければきっと生きていけない。

右に左に揺れ動きましたが、結局「これからも、漫画は描き続けたい」

その気持ちに落ち着きました。

萩尾望都「一度きりの大泉の話」P181より

 

 

漫画の神様は最初から神様だったのではなく、どんな状況でも描き続けるという非凡な才を持った凡人が神様になったのだ……と改めて実感しましたよ。

 

好きなエピソード①

初期のケーキケーキケーキという作品はパリのお菓子屋さんが舞台なんだけれど、パリのお菓子屋さんなんて誰も知らない。1970年って海外旅行がメジャーじゃなくて、もちろん資料も少ないしそもそも手に入れることが難しい。しかし萩尾望都はたまたま手塚治虫先生がパリから帰国したタイミングで直接手塚先生からパリのお菓子屋さんの光景を解説してもらった。(手塚先生のアシスタントをしていた友人で話が回ってきたみたい)すご、そんな、親戚のおじさんに土産話をせがむ感覚で漫画の神様から資料提供を受けるなんて。本人も天下の巨匠がパリのお菓子屋さんの店内の話をしてくれる!と興奮していたのが可愛かった。

 

好きなエピソード②

1972年の45日間の海外旅行。メンバーは竹宮恵子萩尾望都山岸凉子、増山紀恵。という日本漫画界を背負うことになる若き女性たち(21歳、22歳くらいなので本当に若い)。竹宮恵子の自伝でも生き生きと語られていたので、このヨーロッパ旅行は本当に彼女たちのその後の人生の糧となったんだろうなと伺える。メンバーも行程―船とシベリア鉄道と空路でヨーロッパ入りするなんて、読んでいても旅情がカンストしている。ヨーロッパは各国を鉄道で乗り継いだという50年前になんたるバイタリティ―もとんでもない豪華な旅行だが、萩尾望都ポーの一族の最終回の原稿を持って描きながら旅行し、山岸凉子アラベスクの連載中だったのでバレエのカットを描いていたという。漫画家同士なら原稿を手伝ったりすると思うじゃん?違うの。皆自前のお金で貴重な海外旅行に来ているから、手伝わせるわけにはいかない。申し訳ない。と1人で書いたという。エドガーがアランを連れて行くシーンのカーテンの点々をローマあたりで描いてイタリアから航空便で小学館へ送った。と書いてあるので、今後私は、あの「一人では寂しすぎるよ」のシーンを今まで以上に真剣に読まないといけない。

 

 

 

 

 

話をBILLY BATに戻す。当時もケビン・グットマンのビジュアルが本当に好きで好きで、たまらなかったけれど、今読み返しても好きだわ〜!!!!と悶絶し、その後PLUTOも見返しながら舞台版も観たくなるも、データが実家なのでしょんぼりするなどしました。