肩甲骨が剥がれない

Twitterの補完版として始めたけれど、自分の備忘録状態。なるべく他人に読んでもらうつもりで書きます。

2024/9/5 パンク/萩尾望都の自伝を読んで神様も苦しみ続けた人間なのだと思考

行きたいお店に着いたら定休日だったり、自転車がパンクしたので急遽出費が増えたりするなど。自転車屋さんは気を利かせて「とりあえずパンク修理するか」と言ってくれたけれど、どうみてもバルブの金具がへしゃげているので「タイヤもチューブも交換してください」とお願いした。ここでケチってはいけない。お金をおろしてくる間に交換してくれたが、そもそも自転車が無いので徒歩。銀行は先ほど定休日だったお店の近くにある。1時間ほど前に近くにいたのに!!!とぷりぷりしながらえんやこらと歩いた。

 

 

 

豚こまとなすの梅煮を作ったが、カップ1でいいのに目分量で鍋に水道水をダイレクト注水したら1Lぐらい入ってしまった。そのまま調理して、豚こまとナスの梅スープ。が出来上がったけれど、このスープがおいしくてごくごく飲んだ。弁当に持っていきたいが、汁……。どうしよう。とりあえずタッパーに入れてラップでぐるぐる巻きにした。

 

 

 

 

 

夜、寝間に入りながら「一度きりの大泉の話」を読み終えた。例の断絶に至る話の辺りからとんでもないものを読んでいるのだと気を引き締めていたが、思った通り、人間の感情の細やかな変化を書き綴っていた。あらゆる負の感情がないまぜになった熱量が本からびしびしと伝わってきて、今これを書いている9/6朝の時点では自分の言葉にできない。一度きりと発言しているので、もう二度と彼女が生きている間はここまで詳しく話してくれなんじゃないかと緊張しながら読んだ。忘れたことで関係ないことを思い出させてしまってすみません、でもとても貴重な資料です。*1

尊敬する神様が口を開いてくれたので、なんとかして自分の血肉となるようにメッセージを読み取ろうとした、が、*2こう、何を書いても萩尾望都が心に深い衝撃を受けて、悩んで、考えて考えて考えた末に忘れて、生みの苦しみを繰り返して、今回冷凍庫から引っ張り出して鍵を開けて、また鍵をかけて、鍵を捨てて、今度は永久凍土に埋めた思い出を他人の私が好き勝手にあーだこーだいう権利はないんじゃないかと。評論家気取りで「竹宮恵子萩尾望都の断絶」を語るのはそれこそ萩尾望都が大いに嫌っている「御遠慮したいのに」を無視しているんじゃないか。萩尾望都が考え付いた果ての対処療法は済んでいるのに。

あと増山さん。当時を知る人のブログも読んだが、嵐のような人だな。竹宮恵子の自伝でうっすら感じていた偏見が、モーサマも後半チラッと書いていて、やはりそう思っていたんだね。とそこは気持ちがシンクロしました。

 

モーサマが亡くなって当時を知る人がいなくなってしまった後に、モーサマの気持ちを無視した形で当時の話がコンテンツ化されるようなことがあったら、反対署名をしようと決意しております。

*1:デビュー前から現在までクロッキー帳に日記代わりに書(描)いた文章や絵をいままで保管していたので正確性は正直竹宮恵子の自伝よりもあると思う。合間合間に挟まれる当時のクロッキー帳に描かれたスケッチも見事でため息をついた。

*2:自伝なので話す。はおかしいけれど、まるで昔話をせがむ若手の編集者に語り掛けているような筆致で。あとがきに佐藤嗣麻子監督が聞き手となってインタビューした音声を元に書き起こしたと書いてあって納得