肩甲骨が剥がれない

Twitterの補完版として始めたけれど、自分の備忘録状態。なるべく他人に読んでもらうつもりで書きます。

宝塚歌劇団花組 ポーの一族 感想

スカステで放送していた宝塚歌劇団花組公演「ポーの一族」を観た後に涌き出た感想ツイーーーーーート!!!!

例によって下書き状態だったものをエイサーイハラマスコーイと書き上げたので、熱量に差がある文章だけれど、ほら、書き上げることが大事だから……と言い訳。長いです。

 

 

kageki.hankyu.co.jp

今更ですけれど宝塚版、および原作*1ポーの一族のネタバレが存分に含まれております。なんなら結末を全て知っている前提で書きます。長いです。

www.shogakukan.co.jp

 あらすじというか、作品の世界観を簡潔に表した紹介文はこれが一番。

青い霧に閉ざされたバラ咲く村にバンパネラの一族が住んでいる。

血とバラのエッセンス、そして愛する人間をひそかに仲間に加えながら、彼らは永遠の時を生きるのだ。その一族にエドガーとメリーベルという兄妹がいた。

19世紀のある日、2人はアランという名の少年に出会う…。 時を超えて語り継がれるバンパネラたちの美しき伝説

ポーの一族 復刻版 小学館より

 

 

 

鑑賞直後のツイート

 

ありがとうございます。

録画を観てから脳内にテーマ曲「ポーの一族」のサビの「われーらがーいちーぞくー!ポーの一族ー!!」がふとした瞬間に流れ続けている。これを書いている8/24現在も脳内再生されているので、めちゃくちゃキャッチーな曲ですね。

 

孤独と愛

萩尾望都先生のインタビュー番組*2を観ていたので、全体的にバンパネラ、特にエドガーの孤独が強烈に感じられた。そして宝塚版はプラス「愛」。

人は愛がなくては生きていけない

誰かを愛し愛される日々に

焦がれ求めて彷徨う

花組大劇場[「ポーの一族第一幕 愛のない世界 より

と歌詞に歌うほど「愛すこと・愛されること」が重要なテーマになっている。

エドガーの孤独

人とは違う理を持ち永遠の時をさまようバンパネラとしての孤独、最愛の妹メリーベル、初恋のシーラ、そして決して相容れない性格(初恋の人の結婚相手だもんな)でありながらも同志であるフランクを一度に亡くすという家族を失う孤独。彼は物語の中で常に孤独だ。

まだ人間だったころの快活で感情表現が豊か*3な彼は永遠の時を生きることになるなんて思いもしないような少年だった。そんな彼がバンパネラとなって数百年。しかもかれは自ら望んでバンパネラになったのではない。老ハンナに後継者として見込まれていたものの、興味本位から一族の儀式を目撃してしまいメリーベルを人質に取られポーの一族に加わることを約束させられてしまう。さらに思わぬ事件から予定よりも早く、わずか14歳で永遠に少年として生きなければならなくなってしまったのだ。

人に生まれたのに人ではなくなった哀しみを癒すことが出来るのはやはり同じく人からバンパネラとなった者を愛する気持ちと愛される気持ちだけ。切なく、引きちぎれんばかりに歌い上げるエドガーがとても痛々しい。バンパネラになったエドガーは、シニカルでちょっとやそっとのことでは動じず(メリーベルが関係する以外は)冷静で達観している。しかしそれは自分の心をイバラで閉ざしているに過ぎない。やはり心の中では呪われた一族にメリーベルを巻き込んでしまった贖罪の気持ち、そしてポーの一族として生き続けなければならない絶望を抱えているんでしょうね。

そんなエドガーがアランを一族に迎え入れる。ここで「アランを愛し、愛されていたから」と単純な言葉で終わる関係じゃないんだよな~~~。

 

エドガーが見つけた愛

エドガーとメリーベルはお互いに愛し愛される存在だっただけに、アランはメリーベルの代わり?と勘違いしそうになるけれど*4二人はお互いが理解し合えたから分かり合える存在だから気持ちが通じ合ったんだよな。「二人は兄弟のようでもあり一番の親友でもあった」とルイス・バードが二人を称しているけれど、そう!!ふたりは兄弟で親友だったんだよ。決してメリーベルの代わりなんかじゃない。対等の存在だった。そして宝塚版はエドガーとアランが距離を縮めていく段階をきちんと描いていたのが凄く好感を持てた。

  二人で「愛のない世界」の冒頭を歌うシーンはまさに真骨頂。エドガーとアラン、それぞれが家族や社会の中で感じている孤独をお互いに知る一場だ。クリフォードが母に色目を使っていること、仕事も結婚もすべてを決められているアラン。あてもなく名ばかり男爵として(時を)漂流しているエドガー。恋をしかけた相手は結婚が決まっており、アランも婚約者で理解者だったロゼッティを亡くしている。後にエドガーもアランも家族を亡くす(アラン側は崩壊する)ことになるけれど、すでに二人の中でお互い惹かれ合う部分=「孤独」があったからこそ、ほぼ衝動的にエドガーはアランの首に手をかけて仲間に迎え入れようとした。

しかし思いとどまるエドガー。ちょっとすぐ原作がないのでなぜ躊躇したのか思い出せないんだけれど。良心の呵責?メリーベルに紹介していなかったから?自分が仲間に加えられたことを思い出した?語られていない行間を考えるのは楽しいですね・・・。

そのあともエドガーはアランを迎え入れようとするがメリーベルに「未練がある」と見抜かれて寸でのところで思いとどまる。ここでメリーベルの号泣が胸が張り裂けそうになる。心の底からあらん限りの声を出して嗚咽するメリーベル。彼女の声の向こうでエドガーも悔しそう。この兄妹になぜこんな酷なことをさせるんだろう。なぜこんな試練を与えたのだろう。3度目の正直でアランは晴れてポーの一族となるが、単純にエナジーを分け与えて一族に迎え入れるだけじゃエドガーの苦悩は表現できないだろう。こちとらシーラのように「愛し愛される」という陽キャテンションで望んで一族になったんじゃないんだ。誇り高い一族と朗々と歌うことはないんだ。人ではないからこその苦悩を誰よりも分かっている。なぜならエドガーは今も人に未練があるから。(メリーベルも自ら一族に加わったとはいえ)メリーベルを巻き込んでしまったことを後悔しているから。人ならざる者の中でももさらに異端者。入れ子構造のような存在がエドガーなんですね…。バンパネラとなって100年以上になるけれど、彼の根っこにはほんの少し、人間だったころの幸福で幸せだった光の中を駆け回る無邪気な少年が生き続けているのかな。と考えてしまうんですよ。

 

 

 

その他観ながら思ったこと~~!!!
  • 後ろを向いてセリ上がってくるエドガー!!!!!バラを片手にこちらを振り向いた瞬間「エドガーがいる…」と思わずつぶやいてしまった。完全再現と話題になったポスターの姿そのまま。一時停止してもまったくぶれないエドガー。
  • ポーの村のストーリーを簡潔に魅せながらもエドガー・メリーベル・シーラ・フランクの登場人物を紹介して、その流れでメインストーリーのポーの一族のあらすじも紹介する演出…ポーの一族初心者に優しい。全て原作のエピソードを忠実に再現しているのが憎い。くぅ~~~~!!!上手い…。ミュージカルに落とし込むのがうますぎる。
  • シーラが歌う「永遠の愛」の曲調が好き…。仙名彩世さんの歌声からシーラがフランクとの結婚を心から望み、彼と愛し合っていることが歌を通して伝わってくる…
  • 「コヴェントガーデン」の賑やかで晴れ晴れとしたシーンよ…。今日の光が一生続くと信じていたエドガーの過去みたいだ。花売り娘のデイリーのエナジーを発作的に吸ってしまったことを嘆くも、体は確実にバンパネラとして変化している…。エドガーの狂気よ…(詠嘆)
  • ホテル・ブラックプール!!これぞミュージカル!!という感じの華やかで景気のいいダンスミュージック。そこに現れるチーム・オカルトとポーツネル男爵一家…。賑やかで楽しい空間が一気に不穏な空気感を纏う。物語が動き始める。
  • エドガーもアランもそうだけれど、演じている明日海りおさんや柚香光さんが14歳の少年にしか見えない。とくに柚香さんは主演のハイカラさんが通るを先に観ていたので少尉のイメージが先行するかな…そんなことは杞憂だった。萩尾望都先生が描くエドガーとアランそのまま。演じているジェンヌさんのことなどまったく感じさせない完璧な少年だった…。
  • あーーーーーーー!!!!!この!!!!アランの指の血を吸って胸のリボンタイで止血するエドガーのシーン!!!もう!!!最高!!!!まず「どこ見て歩いてんだよ」とアランの真似をして転んでいる彼に手を貸すエドガー。しかし「余計なお世話だ」とその手を振り払い、自力で起き上がったアランに!!!流れるような所作で彼の指を口元に持っていき、その血を唇で拭エドガー。驚くアランそっちのけで一瞬で首に巻いていたタイをほどいて止血するエドガー・・・。スパダリか!!!!!(スーパーダーリンです)一時停止したときに発見したけれど、エドガーの巻き毛に差し色として赤が入っていたんですよ。解釈やば。そして自分の指の血を止めてもらっているのにエドガーの横顔を凝視してしまうアラン。エドガーもメリーベルに「友達を呼んでくるよ」と伝えているし、お互いに完全に惹かれている。老ハンナを呼んで!!!今夜は婚約式よ!!!…いまこいつは何を言っているんだ?とお思いになった方、正解。あなたは正解です。
  • 若人たちがワイワイと歌い踊るセントウィンザーのシーン「みんな信じやすんだね」とそっけないアランだけどエドガーを見つけた瞬間に「エドガー!」と駆け寄るの、めっちゃくちゃ可愛くないです????子犬みたい。
  • ロゼッティの焼き絵を二人で見つめるシーン。年相応の二人。尊い。キラキラしている。いや比喩ではなくて本当に。二人でキャッキャしながら塔の上で追いかけっこしたり顔を突き合せたり…。え?尊い(二回目)そしてついにアランへエナジーを分け与えようと首筋に噛みつくエドガー。しかしアランも聖書の言葉で反撃!原作ではロザリオを受け取ったり日曜日はミサに出席する男爵夫妻が目撃されて、人ならざる者の疑惑を払しょくするけれど、さすがにそこまで詰め込むとボリュームがありすぎたのか削られていたね。
  • この衣裳のエドガーがもー様が描くエドガーなんだよなあ。ポスタービジュアルに使われている髪色と同じジャケットに白いタイを結んだ姿。あれ?いま単行本のポーの一族の扉絵を見ているのかな?と見紛うほどのエドガー。

 

「お前たちは何のために、なぜ生きてそこにいるのだ」

「何故生きているのか?それが分かれば

 創るものもなく、生み出すものもなく、移る次の世代に託す遺産もなく」

 花組大劇場「ポーの一族」第二幕 何故生きているのか?より

 

  •  クリフォードが最期に問うた「何故生きているのか?」これはね、もう、バンパネラに限らず全ての人が抱える永遠のテーマですよ。私だって未婚のしがないOLなのでクリフォードやエドガー理論で行くとバンパネラと同じなんだよなあ。(暴論)家庭や学校や職場や趣味の世界でも、人間は社会生活を営もうとすると集団にならずにはいられない。しかし集団の中にはマジョリティだけではない。マイノリティも必ず存在する。マジョリティの中でバンパネラ(マイノリティ)として生き続けなければならない苦しみと哀しみがある。彼ら(私たち)は慰め合う。同じ傷を癒し合いながら支え合って生きていく。大老(キング)ポーは新しい血が必要なので家族を増やせと助言するが、彼も老ハンナという連れ合いがいたからここまで生きてこれたんでしょう!!????(突然の過激派)悲しみを抱きながらもバンパネラとして生きる。悲しみを「抱いて」という表現が素晴らしいよね。
  • 「時の輪」!!!これ、萩尾望都先生が作詞された歌なんですってね。目覚めたアランと共に時を越えて遠くへ旅立つエドガー。手をつないで歌い始めるんだけれど、アランとエドガーが見つめ合って、お互いに手に視線を一瞬送った後に手をつなぎながら前を向いて歌い上げるの~~~~~!!!!あ~~~~~~!!!!!尊い!!!!!アランが一族に加わってメリーベルを亡くした傷が癒えたわけじゃない。アランはメリーベルの代わりには決してならないだろう。だからこそ、唯一無二のエドガーとアランとしてこれからも生きていくんだろう。と感じさせる…ゴンドラ…だった。あとねあとね!エドガーの肩に手をかけるアランが色っぽいの。あーーーこのシーンが公式画像で使われる意味が分かるわ。だってこれ完全に事後。すみません、お二人の世界をのぞき見してしまって…*5
  • 事後と言えばね、エドガーが首に手をかけてエナジーを吸い取ったり注いだりするシーンが劇中何度かある。そのシークエンスがさあ!!大好きで!!!ガバっと勢いよく首筋に噛みついたあとゆっくりと顔を上げて相手を見つめるエドガーがめちゃくちゃ耽美。耽美の極み。
  • 私ツイートで「小鳥の巣」と言ったけれど、調べたら「グレンスミスの日記」だった。今更ながら恥ずかしっ!

 

*1:春の夢まで読了

*2:

ma00720.hatenablog.com

*3:知らなかったとはいえ村の人間と同じくバンパネラを嫌悪しているんだよなあ

*4:アランが最期まで自分はメリーベルの代わりだと思い込んでいたのって最高のメリバじゃないです??メリバの使い方あってます???まあいいや

*5:

www.hagiomoto.net

先生も「娼婦アラン」とおっしゃっている