ひきつづき「ここに来るまで忘れてた」を読んでいる。
「この局面でその弁当を選べる姉で良かったと思う」
中学の教科書に載っていた『いちご同盟』という小説を思い出した。ヒロインの手術が長引いて生死の境を彷徨っている間、病院の食堂へ向かった幼なじみがカツ丼を注文して搔き込むシーンが印象的だった。その幼なじみは、悲しくても腹は減るんだよと言っていた。その通りだ。状況に似つかわしくなくとも、腹が減ってしまうのが人間だ。食欲が湧いて、そこから目を逸らそうとするのはむしろ不自然な行為だろう。
(ここに来るまで忘れてた 交通新聞社 吉田晴直)
食うことは食うくせに、中途半端に喪に服した気になっていた自分の小狡ずるさがダサく感じられた。でもそんなのは私に限った話ではない。多分『いちご同盟』でカツ丼を食べていた彼でさえ、「21世紀出陣弁当」は買えないと思う。
(ここに来るまで忘れてた 交通新聞社 吉田晴直)
高校3年生のころ、人生で2つ目の眼鏡を作った。お小遣いとは別のお金を親に申請してメガネ屋さんで初めて一人で眼鏡を作る。当時から赤い色が好きだったのと憧れの友人に少しでも近づけるのではないか?という浅い妄想が具現化し、プラスチック製のオーバル形の赤いメガネを購入した。ろくにケアもしていないクレーター肌や櫛でといただけのぼさぼさ髪に若手芸人のような主張の強いメガネをかけるとは。今考えると滑稽だが当時は最高にイケている!と思い数日後に引き取って家に帰った。意気揚々と新しいメガネをかけてリビングのドアを開ける
「あんた!!その色は何なの??!?!?」
母の第一声は子供を叱る親そのものだった。
「おばあちゃんのお葬式も近いっていうのに!まったくふざけた色にして!!!!」
当時父方の祖母はがんで余命いくばくもない深刻な病床にあった。親戚の中で唯一岡山に住んでいる父はは毎週のように実家に帰省して、私、弟、母を週代わりで連れて行き祖母と面会していたのだ。初めての肉親の死に直面する父の心境、そして嫁の立場の母親の気持ちを今考えると、祖母の危篤が近く、そして大学受験という大きな節目を迎えているのにあまりにも緊張感が無さ過ぎる。私は13人いる孫世代の中でも特別にぼんやりしており決して利発な子供ではなかったので、母は、優秀で朗らかないとこたちと比べ、何か突出した技能を持つわけでもないひねくれやのそれでいて妙に気性が荒い娘にずいぶん気を揉んだことだろう。やがて訪れる姑の通夜や葬儀の場*1ではせめて大人しく、目立たないようにと願っていたにもかかわらず、当の本人はお気楽に「似合うからいいじゃ~~ん」と自分のお金でもないのにふざけた柄の眼鏡を買ってきたのだ。
当の私は中一からかけていたいかにも!な細い金属のフレームメガネをようやく脱して、当時流行り始めていた太いフレームの、それでいて憧れの赤い色の眼鏡をかけることができて大満足だった。母のお小言を「固いことを言う人だなあ」とうっとおしく感じていた。いやはや、親の心子知らずを地で行くとは。徹底的に我慢強い性格の母の血を引いているはずの娘は気ままで、自由で、歯を食いしばって働いて稼いだお金の価値をイマイチ理解せずに浪費しているように思えたのだろう。これで成績がよかったり何が特技があれば文句は言われないだろうけれど、努力というものが大嫌いで、成績は悪い、ときている。
さて、時は流れ、15年近く経った。あれから私は自分のお金で数度眼鏡を新調している。先日も眼鏡を作ったのだが、今回は原点回帰ともいうべき細い金属のフレームにしたのだ。太いフレームに飽きた。というのもあるし、かといって流行りのボストンやラウンドにするほど度胸がない。数年前なら絶対に選ばなかったであろうメタルフレームの眼鏡をかけた私はさすがに中学一年生の頃のような化粧水と乳液の違いも分からず美容院で半年に一回髪を切るだけの伸ばし放題な髪の毛でもなく、年相応な表情をしていた。赤いメガネ以来、眼鏡を新調するたびに母の言葉が脳内をリフレインしているが、多分当時の母はこういう落ち着いた眼鏡を掛けて帰ったら何も言わなかっただろうな。*2人によってはこれは「呪い」と表現されるかもしれない。でも私は、当時の自分も母のどちらも言い分も理解できるほど成長し「どっちもどっちだな」としか思えない。それは月日を経るごとにニュートラルになっていき、吉田さんの「中途半端に喪に服した気になっていた」という言葉によって当時の私が幾分か夕背になった。眼鏡の色一つでそんなに過敏にならなくてもいいじゃないの。それこそ喪に服した気になっている自分の都合を押し付けているじゃないの。
母と娘という古来よりコンテンツの題材となってきた関係性だ。母親の家系や育ってきた環境を思うとなかなか壮絶なので、事情を知らない母方のいとこが無邪気にそれらのエピソードを聞いて笑っていると、大人げなくも「それに至るまでのいろいろな事情があるんですよ…!!!」と面倒くさい人ムーブを(心の中で)かましてしまうほど。厄介オタクかよ。母親にまつわるエピソードに関してはめちゃくちゃ、ある。プライベートなエピソード満載なので元気な時にまた書き残せたらいいなと考えている。
*1:実際に参列者数百人規模。お坊さんは4~5人来ていた。伯父が勤務する学校の生徒会がお焼香をしたし。彼女が来ていた夏服の白いセーラー服が妙に印象に残っている。コロナ禍の前でも一主婦の葬儀にしては大規模だったと未だに話題に上がるほど。改めて祖父母や一族の人望と人脈には感嘆する。
*2:書きながら初めて美容院で髪を切ったエピソードを思い出した。長さに満足していた私は「髪をくくれるくらいの長さで、毛先をそろえる程度にしてください」と所望した。同行していた母に帰宅したとたんに「せっかく外で切ってもらえるチャンスだったのになんで少ししか切らないの!!髪はすぐに伸びるんだからもっと短くしてもらいなさい!」と呆れられたのだ