肩甲骨が剥がれない

Twitterの補完版として始めたけれど、自分の備忘録状態。なるべく他人に読んでもらうつもりで書きます。

一方的かつ個人的なHagexさんの思い出

日課である昼休みYahoo!ニュースチェックを行おうとYahoo!を開いた瞬間、

「Hagexさんの姿、ネットで見ていた」という記事タイトルが飛びこんできた。

彼の名前を公共の場で見かけることは、ひどく奇妙で、落ち着かなかったが、Hagexさんのブログ

hagex.hatenadiary.jp

を10年近く愛読している私はやっぱり好奇心の方が勝り、記事のリンクをクリックしていた。

 

 

よくわからなかった。

なぜ本名を載せているのだろう。年齢も載せているのだろう。Hagexさんはプライベートを決して明かさなかった人だから、彼の意思でこの記事が書かれたわけではないことは理解した。

記事の終わりに関連記事のリンクが貼られていたので、いつものようにクリック。今日はプラス真新しい情報はないかとはやる気持ちでページの更新を待った。

 

「殺害」「刺殺」というワードが目に入り、ようやく彼が殺されたのだという事実を受け入れた。同時に、彼のブログが二日前から更新が止まっていた謎の合点がいった。

 

もう二度と、知的好奇心を満たすまとめの編集や、秀逸なコメントや、インターネットの暗部や、メディアの膿や、紅茶とお菓子について語るほっこりしたHagexさんの日常や、映画感想や、旅行記や、最新のIT情報らを読むことが出来ないのだ。

 

デイリーポータルZのライターだった大塚幸代さんが亡くなったとき、デイリーを上げて追悼記事を掲載していた。

portal.nifty.com

しかし、管理人を失った彼女のブログは、数ヶ月後には記事の最後に広告が掲載され、死の臭いを一切感じさせない日常がインターネットの漂流物となり、今も延々と漂っている。

 

更新が止まったブログやリンクが切れたHPを見ると、なんとも言えない悲しさと切なさと空しさと虚ろさと憤りと、形にできない諦めと新しい日常を生きているであろう管理人への思いが一瞬の内に現れては消える。

この瞬間がインターネット徘徊人間のカタルシスの1つであると自覚している。

しかしHagexさんのブログが漂流物となるそう遠くない未来を想像すると、新しい日常が永遠に存在しない未来しか選択できない。その選択がとても生々しくて、胃のなかにずぅんと重みを感じた。

 

 

猫先生が幸せな第二の人生を送れるよう願って止まない。

 

遺族皆様に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、Hagexさんの安らかなるご永眠を心よりお祈り申し上げます。